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本屋にて

今年の1月に都内の某書店で撮影したもの。 なんとなく濃い棚があったので撮ってみました(笑)

bookshelf1s bookshelf2s

ほかにも経済系の本はあれど、この手の本はなぜかちゃんと1箇所にまとまっている(隔離されている?)のは書店の見識でしょうか。

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2005年12月04日 トラックバック:0 コメント:1

最後の『冬ソナ』論

田中秀臣先生の「最後の『冬ソナ』論」を読みました。「冬のソナタ」を含め韓流ドラマは全く観たことがないので、正直第一部はちと辛かったのですが、第二部「なぜ経済学には純愛がないのか?」は面白く読ませていただきました。

この第二部は、「なぜ冬ソナブームは起こったのか?」という疑問から、利己的な愛ではなく利他的な愛に中高年女性が魅かれたのではないかという仮説を提示し、利己的経済から利他的経済へ、そしてリフレへとやや強引に(笑)話が進んでいき、途中からはもう完全にリフレ派の主張・解説になっています。 あと、恋愛にまつわる進化心理学の紹介はとても勉強になりました(欲を言えば、巻末に文献リストがあると良かったかと)。

以下簡単に感想を。

自分は外国産のみならず国産の恋愛ドラマにも全くうといので、的をはずしてるかもしれませんが、昔は日本でも利他的な愛・自己犠牲的な愛を描いた漫画やドラマがあったように思います。

例えば、本書を読んで最初に連想したのは、梶原一騎原作の 「愛と誠」です。主人公の早乙女愛の行動は、「そこまでやらんでも…」というレベルをはるかに越えてしまっています。愛をはさんで誠とは恋のライバルとなるNerd岩清水の行動も、まさに利他的だったと記憶しています。 (当時、テレビや映画の恋愛物には全く興味がなかったのでほとんど観ていません。ですので残念ながら例を挙げることができないのですが…)

ところが、いつのころからかテレビや漫画からそういうキャラは消え、柴門ふみが描くような、利己的な主人公たちの恋愛劇に移行してしまいました(もちろん高橋留美子「めぞん一刻」もそう)。いわばアダム・スミス的恋愛劇、とでもいうべきでしょうか。利他的なキャラは現実味が薄い、というような風潮があったかと思われます。そこで、かつて愛と誠にしびれた人達はしばらく利他的恋愛劇に餓えていたわけです。

そこへ突然、利他的な恋愛物語の「冬ソナ」が現れた。かつてそのタイプの物語を楽しんだ経験のある中高年はそれを思い出して冬ソナにのめりこんだのではないでしょうか?ちょうど、子供のころに食べた物に大人になってから再びめぐりあって懐しさを覚えるのと同じように。

というようなことを考えました。すみません、全然経済学と関係ないとりとめのない感想で。でも「愛と誠」はすごいですよ。あの主人公(愛)の行動を説明できるゲーム理論や行動心理学があったらお目にかかりたいです。

2005年11月04日 トラックバック:2 コメント:3

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